BOOKS

–1984–
BEDTIME STORIES
OSAMU GOODSマザーグースのキャラクターが、9編の楽しい物語の主人公になった短編小説。
秋山道男さん、鈴木海花さん、林真理子さん、酒井チエさん、
安西水丸さん、秋山猛さん、佐々木克彦さんら豪華な作家陣が参加。
夢の中でも幸せな気分になれる本として、ファンなら誰もが枕元に置いていた本。
原田治さんの素敵な挿絵を掲載。

シチリア島のイルカの物語/林 真理子
そんな僕の不満も、10分しないうちに解消された。
僕はパパの髭もじゃの顔に何度も頬ずりされて、
「僕の最高の親友、かわいいジッゼッペ」
という言葉を何度も聞いた。
僕は嬉しくてたまらず、柄にもなくつい、そのぉ……オモラシをしてしまった……。
「いやねぇー、この子、パパが帰ってきたというのに」
気のせいかママのいい方には毒があって、おまけに僕はおしりを三つもたたかれてしまった。
僕は知性はママの倍はあると思うのだが、悲しいかな体の機能が頭脳についていかない。そこの弱みをつけこんで、パパの前で責めるなんて、僕はさっきからママにフンガイしてる、かなり。
「まぁ、いいじゃないか。ジョゼッペはまだ赤ん坊なんだし。この子はりこうすぎるぐらいだから、ひとつぐらい赤ん坊らしいことをしてくれると安心するよ」
僕はこの言葉にすっかり感激して、ハイハイしながらパパの足ににじりよった。途中でお茶を入れていたママがすばやく気づいて、タックルをかけようとしたが、それより早くパパが抱き上げて膝の上に乗せてくれた。ママは自分が同じことをしてもらおうと思っていたので、すごい目づきで僕をにらんだ。
よくママや近所の人は、パパのことをハンサムだというけれど、僕には髭がいっぱいで顔のことはよくわからない。ただパパからはいいにおいがした。それは春になると、このシチリア島全体をおおうオリーブやオレンジの香りとは違った、もっと複雑で長い間積みかさねたようなにおい……それはパイプ煙草のにおいだった。
パパは片手で僕を抱いて、丸く平べったい缶のふたをあける。中には枯れたような葉っぱをきざんだのがいっぱい入っていて、パパはそれを大切そうにパイプの中に詰めるのだ。
「これはマルセイユにしか売っていない極上品だよ、これを切らしたりすると、俺は本当に心臓がとまりそうになる……ジョゼッペ、どうだい吸ってみるかい?」
パパはふざけて、僕の唇におしあてようとした。僕は大いに興味はあったが、すぐ横でママがみはっていたので、仕方なく、さも嫌そうに顔をそむけた。
パパは僕を膝の上に抱いて、ママの入れてくれたお茶を、パイプをくゆらしながら本当に楽しそうに飲んだ。
それからパパのおみやげ披露。ママのためにフランスの帽子、日本のキモノ、僕のためには南国の土人がつくったというおもちゃや、ドイツのとてもきれいで精巧にできた積み木が、つぎからつぎへと開けられた。
ママは嬉しさのあまり、涙でぐしゃぐしゃになって、菊と富士ヤマのものすごく派手な模様のキモノをひっかけ、羽飾りのついた紫色の帽子をかぶって、踊る真似さえはじめるしまつだ。
「その帽子よく似合うよ、パリでいちばん流行っているやつなんだ」
「ジュリアーノ、よくあなたが女の帽子なんか買えたわね」
「いや、なに、仲間についてってもらったのさ」
パパのパイプを持つ手がちょっとゆらいだのを、僕は見逃さなかった。でもママはそんなことを全く気にせず、例の派手なキモノを着たままパパに抱きついて、キスの雨をふらせていた。
「ああ、ジュリアーノ、あたしとっても幸せだわ、次に帰ってくる時は、千個の真珠とイルカよ」
「イルカ、なんの話だい」
パパは不思議そうな声で聞かえした。かわいそうなママ、パパはあの約束なんかまるっきり忘れてしまってるんだ。
ママは少ししょんぼりして、パパから離れて鍋の方に行った。この場合、パパを責めるのはちょっとかわいそうだと僕は思った。結婚前に出まかせに行ったことなんか、いちいち男なんか憶えてやしないんだ。