BOOKS

–1984–

BEDTIME STORIES

OSAMU GOODSマザーグースのキャラクターが、9編の楽しい物語の主人公になった短編小説。
秋山道男さん、鈴木海花さん、林真理子さん、酒井チエさん、
安西水丸さん、秋山猛さん、佐々木克彦さんら豪華な作家陣が参加。
夢の中でも幸せな気分になれる本として、ファンなら誰もが枕元に置いていた本。
原田治さんの素敵な挿絵を掲載。

はだしでさんぽ/秋山 道男

–6–

ミルフィユはまずブッチに手づかみでモノを食べることを禁じた。
「こんな時、サラとサージー氏をよぶのよ。」

ふたりはブッチに、正式なテーブルマナーを教えようとやっきになった。
ブッチの大好物のゴーダ・チーズを、ふたりは絶対にナイフとフォークを使うよう命令したが、いくら練習してもどうしてもブッチはうまく食べることができなかった。

「私いつも思っていたんだけど、お食事の時にどうしてお水飲むの。」
「しょうがないさ、貧乏な留学生が食事のたんびにワインをあけていられないよ。」
「私の実家って、ワインのコレクションで有名なのよ。私がお嬢さまの遊び相手に行っていた公爵家では、ブドウ園をもっていて、そこの工場でつくる赤の見事なことといったら……。だいたい食事の時にお水を飲むなんて、日本人とカエルだけよ。」
「リューノスケのことかい。あいつは確かに行儀が悪くて、スープをズーズーすすったりするけど、日本人だから仕方ないんじゃないかい。ま、女のコに対してもよくエバっているけど、本当はとてもいいやつだよ。」
「私思うんですけど。」
ミルフィユはお願いごとをする時のクセで、目を大きく見ひらいた。
「あなたのお友だちのことで、私がとやかくいうのはさしでがましいことかもしれませんけれど、ペペとつきあうのやめてくださらない。」
「だってペペは僕の親友だよ。」
「私やっぱり猫は猫同士でつき合うのがいちばんいいと思うわ。人間は別よ。彼らは私たちと同じぐらい賢いし、いろんなことを知っているからつきあえばためになるわ。しつこいから時々は嫌になるけど……。なにも牛と友だちにならなくてもいいと思うの。あなたがペペの背に乗って、一緒に教室へ来るの、学院中の笑いものよ。私のフィアンセがひとから笑われるなんて、絶対にいや!」

その日からブッチは、ぺぺと一緒に学院へ行くことはおろか、いっさい口をきかないようになった。

ペペはなにもいわなかった。けれども、例の黒い目がいかにも淋しそうで、ブッチはかれの姿を見るのがつらかった。つやつやしたクリーム色の毛がびっしりはえた彼の背中。もう乗る者もなく、いかにも広々として見えた。

もちろん、ブッチはたえずミルフィユや、ペペのことばかり考えているわけではない。彼には卒業試験というべきコンサートがひかえていた。

マルメイユ音楽院では、学生に演奏者としての技術と同時に、作曲者としての訓練も行っていた。したがってこの卒業コンサートは、必ず自分のつくった曲を演奏するように決められていた。

ブッチはいろいろ迷ったあげく、『ミルフィユに捧げるコンツェルト』のパートⅡを演奏することにした。これはかなり技術が必要とされるばかりでなく、なによりも情感の移入が成功のカギだった。ミルフィユの白い巻き毛。エメラルドのような瞳。ピアノの可細い連打が、あの夜の雪を表現してくれる。

このコンサートが成功すれば、パリ交響楽団への推薦状が手に入るのだ。もし入団できたらミルフィユに正式にプロポーズしようと、ブッチは心にきめていた。

はりきっていたのはブッチばかりではない。リューノスケは、日本の琴の曲をいろいろ聞いている。カプチアーノは最近知りあった、非常にコケティッシュな黒ネコ嬢に題材をとり、『ああ、そはなにゆえに黒きか』というイタリア歌曲をつくった。

ペペのことは最近会っていないので分からないが、森の奥の方から時々オーボエの音が聞こえてくる。
彼の背に乗って毎日楽しく歩いた森で、ぺぺはひとりで練習しているかと思うと、ブッチは胸がいたんだが、それは長くつづかないほど彼は幸福だった。

ミルフィユという美しいフィアンセは、皆の羨望の的となったり、彼のつくった曲は、ルナール教授の絶賛を浴びたものだ。

フランスの長い長い冬が去って、また春がやってこようとしいた。
いつものように練習に行く途中で、ブッチは早咲きのスミレを見つけた。フランスのスミレは、彼の故郷のそれより少しこぶりで、色も少し薄かった。

アトランタのあの大地に、もうスミレは咲いたのだろうか。赤っちゃけた土に咲くスミレは不かっこうで、色だけがくっきりと濃い。戦争の噂もある故国、世界中が日一日と不安な雲におおわれていくような毎日で、自分ひとりだけが芸術という安全圏の中に逃げこんでいるような気がする。来年もその次の年も自分はこうしてバイオリンとミルフィユのことだけ思っていられるのだろうか。