BOOKS
–1984–
BEDTIME STORIES
OSAMU GOODSマザーグースのキャラクターが、9編の楽しい物語の主人公になった短編小説。
秋山道男さん、鈴木海花さん、林真理子さん、酒井チエさん、
安西水丸さん、秋山猛さん、佐々木克彦さんら豪華な作家陣が参加。
夢の中でも幸せな気分になれる本として、ファンなら誰もが枕元に置いていた本。
原田治さんの素敵な挿絵を掲載。
ベティー・ブルーの冒険/鈴木 海花
モヤが晴れると、あたりがひどく騒がしくなりました。どこかの大きな街らしく、通りには、人と車があふれています。
「こうしょっちゅう、環境が変わるんじゃ、とても頭がついていけないわ」とベティは文句を言いながら、キョロキョロとあたりを見まわしました。そうしている間にも、何人もの人がベティにぶつかったり、ジロジロ見たりしながら、そばを通りすぎて行きます。ベティはとりあえず、“オリエンタル百貨店”と書いてある目の前の大きなビルに入ってみることにしました。今、ポケットに手を入れた拍子に、見たこともないお金がそこに入っているのに気がついたからです。ベティは、これでどれだけの買物が出来るのか、試してみようと思ったのです。
店内をウロウロしている内に、靴売場に出ました。「まあ、キング・ロブスターや、シンシンさんが言ってたのは、ここのことかしら」とベティは、棚に飾られている沢山の靴を見まわして、期待に胸をはずませました。「いらっしゃいませ」と店員が、おじきをしながら寄って来て言いました。「何かおさがしですか?」ベティは手に持った片方の靴を見せて、「これのもう一方をさがしてるんですけど」と言いましたが、百貨店で靴を片方だけ買うというのも非常識だし、町なかを裸足で歩きまわっているのが、急に恥ずかしくなりました。そこで、「あたしったら、裸足でおかしいでしょ?」と店員に言いました。すると店員は、少しもあわてることなく、「いいえ、いいえ、ちっとも、裸足だろうと逆立ちだろうと、この国では、外国の片が少々変わったことをなさっても、許されることになっておりますから。私たちは、外国の方が自分たちと違う点を見つけますと、自分たちの方が間違っているのだ、と考える伝統を持って居ります」ずい分、ヘンテコリンな伝統だわ、とベティは思いましたが、一方で、何と居心地の良い国に来たんでしょう、とも思いました。そこで、「ここは何という国ですか?」ときいてみました。店員は、あまりにも分かりきったこの質問に、これはきっと何かのジョークに違いない、何とか気のきいたウィットに富む返事をしなければ、自分のユーモアのセンスを疑われる、と思ったものですから、しばらく頭をひねってみましたが、何もうかんでこないので、仕方なく「日本ですわ」と答えました。
広い棚の何百足という靴を見てまわりましたが、さがしている靴は見つかりません。ベティは心からガッカリしましたが、店員にお礼を言うと、せっかく来たんだから、別の売場も見てまわろう、と思いたちました。
化粧品売場へやって来たベティは、あの南海の珊瑚の花園と同じ色のネイル・エナメルを見つけました。なるほど、ビンのラベルにも“コーラル・ピンク”と書いてあります。
「これ、ください」とベティは、ポケットから紙幣を一枚取り出して、店員に言いました。ぶどう色の口紅を塗ったその店員は、マスカラの沢山ついたマツ毛をしばたかせると、
「お客さまぁ」と甘ったるい声でベティに言いました。「ベイス・コートと、トップ・コートはおもちかしら?」
「いいえ」とベティ。
「それに、甘皮取りと除光液は?」
「持っていないけど」
「専用のうすめ液と、除光液のもらたす乾燥からお爪を守る栄養クリーム、それに―」
「あたしは、この珊瑚色のエナメルが欲しいだけよ」とベティがあきれて言いました。
「お客さまぁ」と店員がまた、甘ったるい声で言いました。こういう無知なお客こそ啓蒙しがいがあるものだ、と彼女は考えたのです。
「お爪のこと、真剣にお考えになったこと、おありになりますぅ?」
「いいえ」とちょっと考えてから、ベティが正直に言いました。
店員はその答えに、我が意を得たりとばかり、人間の爪というものが、いかに細心の保護を必要とするかについて、とうとうとまくしたてましたので、ベティは、いささかうんざりしてきました。
そこで、店員がちょっと下を向いたすきに、そばにあった香水びんを取って、試しにちょっと嗅いでみました。世界中のおいしい果物を集めてつくったシャーベットのようなその匂いを、胸いっぱいに吸いこんだ時です。ベティは、自分の体がどんどん小さくなっていくのを感じて思わず、あっと叫び、手に持っていた青ガラスでできた香水びんを、床に落としてしまいました。ベティの体はぐんぐん小さくなってあっという間に、八インチ位になってしまいました。
香水の流れる床に青ガラスの破片がキラキラと散らばり、まるでガラスの池に落ちたみたいに、ベティは一瞬陶然となりましたが、店員の叫び声に、沢山の足に踏まれないよう用心しながら、大急ぎでその場を逃げ出しました。
いつか小人の国のおとぎ話を読んで、あたしも小人になれたら、なんてステキかしら、と想像していたベティは、その考えをすっかり改めざるをえませんでした。全く疲れることといったら、百貨店は果てしなく大きく、ベティはたった八インチの身長しかないのですから。
それでもベティは、やっとのことで、エレベーターを待っている買物客のショッピングバックの中に、忍びこむことができました。しばらくして、バックが下に置かれたすきに、はい出してみると、そこはオモチャ売場のようでした。ベティは心底疲れきっていましたので、バービー人形の家を見つけると、真紅の天がいつきベットにもぐりこみ、すぐに眠ってしまいました。