BOOKS

–1984–
BEDTIME STORIES
OSAMU GOODSマザーグースのキャラクターが、9編の楽しい物語の主人公になった短編小説。
秋山道男さん、鈴木海花さん、林真理子さん、酒井チエさん、
安西水丸さん、秋山猛さん、佐々木克彦さんら豪華な作家陣が参加。
夢の中でも幸せな気分になれる本として、ファンなら誰もが枕元に置いていた本。
原田治さんの素敵な挿絵を掲載。

シチリア島のイルカの物語/林 真理子
僕がなぜこんなに、意志の強い、しっかりした赤ん坊になったかというと、あまりにもママが泣き虫だったからだ。
まったくママのよく泣くことといったら、まるでそれが仕事みたい。台所でスープを作っていたと思ったら、突然エプロンで顔をおおったり、縫いかけのシャツをほおりだしてしゃっくりあげたりする。それに三回に一度ぐらいは、
「ああ、かわいそうな、ちっちゃな私の赤ちゃん!」とか言って死ぬほど僕を抱きしめて、うっとりと悲劇の母親の気分に酔ってしまうから、内心僕は迷惑している。
こういうと、人は僕のことを、何と同情心のない生意気な赤ん坊と思うかもしれないが、パパが船乗りで、年に何回とかしか家に帰ってこないからといっても、そんなことはこのシチリアの港町ではあたりまえのことではないか。
現に隣のマチルダおばさんなんか、去年のクリスマス以来、だんなさんに会っていない、といっているけれど、脂肪と陽気さのかたまりみたいで、いつもほがらかだ。僕の顔を見るたびに、
「ジョゼッペ、あんたは本当にいい男だねぇー、お父ちゃんよりずっとハンサムになるよ」
といって、必ず僕のほっぺたにキスをする。マチルダおばさんは、特製のパスタのせいで、キスをする時ちょっとニンニクのにおいがするけれど、ママの涙でぐしょぐしょに濡れるキスよりずっといい。
僕はママに、マチルダおばさんのようにしろといっているわけではないのだ。ただママは若いし、好きで船乗りのパパと結婚したのだ。そして留守がちだといっても、僕という天使のような可愛らしい子どももいるのだから、もっと前向きに生きてほしいと、僕は思っているだけなのだ。
僕のように八ヶ月の赤ん坊でさえ、そのくらいのことを考えているのに、ママのように二十一歳にもなって、朝から晩までピイピイ泣いているのは本当に不思議でたまらない。そしてママとマチルダおばさんは、僕のように泣かない赤ん坊は見たことがないといって驚いている。
「最初は病気じゃないかと思ったわ。だってこの子のちゃんとした泣き声聞いたの、産声ぐらいですもの」
「本当にたまげた赤ん坊だよ、お腹がすいたり、おムツが濡れたりすると、怒った顔して、ベッドのはしをどんどんたたくんだからねぇ――」
「泣かないかわりに、笑ったりもしないのよ」
ママとマチルダおばさんは、かわるがわる僕の顔をのぞきこんで、僕の表情から何かを探ろうとしたので、僕は知らん顔をきめこんだ。
「ところでジュリアーノの船はいつ帰ってくるんだい」
ふいにマチルダおばさんはママに尋ねた。ママは僕を落とすようにベッドにおくと、おばさんの方を振り返った。いつでもママは、ジュリアーノという、パパの名前を聞くと夢中になってしまうので、そのたびに僕は命がちぢむような扱いをうけることになるんだ。