信濃_原田先生と新谷先生の出会いっていうのはやはり、平凡出版時代の依頼人とイラストレーターというところですか?
新谷_依頼人なんて立派な者じゃないんだけど。僕がアドセンターという広告代理店に入って、堀内誠一さんという人が経営者でもありアートディレクターでもあったので、必然的に助手になりました。4年間、堀内先生の広告代理店における助手をしてたんですよね。
その堀内さんが長年、エディトリアルデザイナーとして、とても力のある人で…それ全く僕は知らなかったんですけどね…迂闊にも(笑)『ぐるんぱのようちえん』なんかは描いていました。
信濃_ああ!
新谷_一躍…期待されている、凄い絵本作家として…凄い人っていうね。巷では天才と言われていた人ですから。
僕は天才なんて見たことなかったけど、会って話してみて、傍で仕事ぶりをずっと見ていて、これは天才だと思いましたよ。
信濃_ああ…。
新谷_僕は『工芸高校』という所に高校の時に入って、美大に入って…都合7年間、美術の学校に行っていたんですよ。だからいろんな人を見てきましたよ。生徒も見たし、先生も見たし。いろいろ見てきたけど、あんな人は一人もいなかった。とにかく何と言うか…驚いた。で、その人の下にずっといて…
信濃_はい。
新谷_その人が「『an・an』っていうね女の子の雑誌、作るんだよ。どう?」って言うから「はい!是非ともお願いしますっ!私を加えてください!」ってお願いして(笑)
信濃_ふふ(笑)
新谷_それで「じゃあ、おいで」ということで一緒に作ることになったんですね。
信濃_はい。
新谷_それで…準備をするんで、まず。3号準備本作って、4号目。次は本チャンへ行くって言う。4号目をやっている時にK2という…長友(啓典)さんって亡くなりましたけど…K2からの紹介で「原田治って若い人が来るから」っていうことで。
信濃_K2からのご紹介で?
新谷_そうそう、そういうことでしたよ。それで「じゃあ、いいよ」って堀内さんが言って。堀内さん、若い人の絵を見ることについては熱心だったんですよね。
信濃_へえぇ!
新谷_決してね、僕みたいに悪口言わないしね。
信濃_ふふ(笑)
新谷_すごくね、丁寧なんですよ。僕は傍で見ていて「才能ないよ!」とかね、色々言うけど(笑)
信濃_ははは(笑)
新谷_堀内さんは全然そんなことなくて、丁寧で親切で、優しい人なんですよ。僕に対してはね、厳しいけど(笑)…原田君とそういうことがあってね。
それで、アートディレクターとは、そういう仕事をする人だって僕に教えてくれましたね。
信濃_あぁ、なるほど。
新谷_アートディレクターという仕事は、若い人を探してくるという。「古い人は使わないで、若い人を使ってあげるようにしなきゃダメなんだぞ」って、そういうことを教えてくれたんですけど。その一環として“自分もそうあらねば、ならねば”ですから。
信濃_うん。
新谷_それで原田君の作品を見たら、A4サイズの作品で…十何枚か絵がありました。それをパパパっと見て「良いんじゃない」と言って「この人に見開きやらせるからね、いいね」「あぁ、結構です~」って。堀内さんは編集長みたいなものですからね(笑)
信濃_ふふ(笑)
新谷_「新ちゃんそれレイアウトして」とか言ってさ。「わかりました!」って。僕の第1作目ですよ、アレ【6】。
信濃_あぁ!そうなんですね?
新谷_僕の第1作目は原田君だったんですよ。ふたりともデビューなんだから。
信濃_そうですよね?
新谷_雑誌のデビュー。それまではPR誌とか、いっぱい作っていましたよ。作っていましたけど…店で売る雑誌を作った、初めて自分でレイアウトしたページがあのページ【6】で、あそこに展示してあります。
信濃_そうですよね!
信濃_凄いですね。今回の展示で驚きましたけど、旅のスケッチ【7】なんていう、スケッチブックにも…几帳面に…一見開きしか見れませんでしたけど…。裏に薄っすらと、すごく細やかで丁寧に描かれていて、ただのメモっていうのではなくて。そういうタッチの絵を描かれていて。きっと、ああいうものを売り込みの時に持っていらっしゃったのかな…。
新谷_いやいや、持ってこなかった。
信濃_あ、そうなんですか。
新谷_「オサムくんの意地悪シール【6】」に、あぁいう絵をプラスして。クレーの絵だったね。
信濃_クレー?
新谷_うん。あぁ、この人、クレー(パウル・クレー)が好きなんだなと思った。そういうタイプの人だど思った。
信濃_ほぉ…
新谷_凄いお洒落な、垢抜けた子だな、と思いましたよ。本人見たら亡くなる時まで変わらない、あのままだから【8】。
信濃_そうですよね。
新谷_あれが22、3歳と思えばいいんですよ。
信濃_ははは(笑)
会場_ははは(笑)
新谷_あのまんま。で、セーターなんかここでこうして(肩にセーターを掛ける仕草をする)。水丸はよく「アレだけはやめてくれ」って言ってましたよ(笑)
信濃_その当時から?!(笑)
会場_ははは(笑)
新谷_「頼むからやめてくれ、俺はアレを見ると困るんだよ!」とか言っていましたけど(笑)死ぬまであぁでしたね。
信濃_ははは(笑)生きてらしたら、絶対に言えない話ですね(笑)
新谷_コッパン(コットンパンツ)にあのシャツでアレっていうのは一生涯変わらないですね。
信濃_いつもにこやかに笑われて。
新谷_絶対に早口では喋らないでしょ?
信濃_そうですね。
新谷_ゆったりと。怖いこともゆったりと言うからね。
信濃_ははは(笑)
会場_ははは(笑)
信濃_よく授業が終わった後に、片付けが終わって帰ろうかなと思ったら「信濃くん、お茶淹れるけど飲むかい?」ておっしゃって。自分が家でお茶淹れている感覚だと思って待っていたら、全然お茶が出てこなくて(笑)
会場_ふふ(笑)
信濃_お湯をいれてから随分時間がかかるんですよね。その間にいろんな話を聞かせていただいて、その話が面白いので楽しいんですけど、忘れたころにお茶が出てきて(笑)
新谷_ははは(笑)
会場_ははは(笑)
信濃_ぬるいんですけどめちゃめちゃ美味しくて。
新谷_あれじゃなきゃ駄目なんですよね、温度がね。
信濃_お茶ってこうやって飲むものなんだって思って。
新谷_それをちゃんとやる人なのよ。「銀座でちょっと会いましょう」となって、松屋に行くんですよ。松屋の地下にね、小さな日本茶飲ませる店があるんですよ。
信濃_茶葉を売っていて、そこで飲ませてくれるんですよね。
新谷_そうそう。そこに何度も連れて行かれた。俺に教えようととしているのかな?(笑)
信濃_ははは(笑)
新谷_俺は番茶のひとだから(笑)茶葉をヤカンにバンっと打ち込んで、グーっとやる人間だから(笑)
信濃_ははは(笑)
新谷_田舎っぺだからね(笑)「そういうの良くない」って怒っていて。そういうものをちゃんと守って、やっているんですよね。
信濃_授業が終わった先生に、ビールを注ぐ時でも、まず注ぎ方の練習からさせられましたね。させられた…というと言葉が強いですけど…「3度に分けて、もっとゆっくり注ぎなさい」と言われて。そうすると綺麗な泡が出て…。あれだけは今も家でしています。
新谷_乱暴なところが全然ない人だよ。もう気遣いの人だし。俺が“乱暴の乱”だから(笑)
信濃_ふふふ(笑)
新谷_拭くのもゆったりと拭くんだよね、机をきれーいに拭くタイプ。俺はババババビュ-ン!っていうタイプ(笑)そういうのがない人だった。
会場_ふふふ(笑)
信濃_(笑)でもそこが合ったんじゃないですか。新谷先生と原田先生の気が…全然ちがうので。
新谷_そういうところはあんまり気にしない…?まぁ呆れていた、諦めてたね(笑)しょうがないって。
信濃_一緒にお仕事される時は、新谷先生が「これは原田君、違うよ」とか、そういうことはあったんですか?
新谷_もちろん。それは、仕事ですからね。そんな甘いこと言ってられないから。原稿書いたりする場合でもね。こんなの書かねぇとか、いろんなこと言ってました。
信濃_あ、そうでしたか!
新谷_『ぼくの美術帖』の、あそこに展示してありますけど…。その帯。一回目の、青い表紙のやつね【9】。あれの帯の推薦文を僕が書いたんですよ。
信濃_あ、そうでしたね?
新谷_今見るとね、酷いのよ…褒めているんだか、けなしているんだか、分からないっていう(笑)
信濃_ふふふ(笑)
会場_ふふふ(笑)
新谷_あの時、僕、山本夏彦がすっかり気に入っちゃって…。山本夏彦の真似していたの(笑)
信濃_ははは(笑)テンション的に…厳しくなっちゃいますね(笑)
新谷_あぁいう言い切り方して。ちょっと古めのね(笑)
信濃_何と書いてありましたっけ?
新谷_忘れちゃった。スミマセン!
信濃_ははは(笑)
会場_ははは(笑)
新谷_素人だと、こいつは。文章なんか書ける訳ねぇ、みたいな。だから「申し訳ない」みたいなこと言って、全然褒めてない訳(笑)
信濃_ははは(笑)
新谷_でも読んでみたら全然そんなことないんだよ(笑)
信濃_皆さん、読んでらっしゃる方も多いかと思いますけど、36歳でこれを書いていたのかっていう…
新谷_仕事全部、断ってさ。絞って、もうあれに集中して取り掛かった訳です。
信濃_へえぇ…
会場_ほぉ…
新谷_凄かったですよ、身辺整理して。前走のように、机も綺麗にして(笑)で、原稿用紙ね、コクヨの原稿用紙。消しゴムじゃないんですよ、あの人。練りゴムなんですよ。
信濃_あ、そうなんですか?
新谷_練ゴムと鉛筆をこう、2Bだか3Bだかを机にこうやって並べて。書いては(練ゴムで)キュキュキュってやって。で、僕は邪魔をしに行ってさ。
信濃_ははは(笑)
新谷_「いい加減、飲みませんか」なんて(笑)ほんとそれにかかりっきり。それで飲みに行くと、今書いていることの説明とかしてくれるのよ。「兜って知っている?」って言うから「知らない」って。
信濃_変わり兜の?
新谷_そう。「見ますか?」って言うから「見せて!見せて!」って。それで写真集を見せてくれて、日本に何故こういう兜があるのか、これは何なんだ、とか説明してくれて。「そういうことを今書いているんですよ。」って。
で、読んだら面白いこと書いてあるでしょ?
信濃_いやぁ、本当に。
新谷_イラストレーターであんなもの書いている人、一人もいないでしょ?
信濃_ははは(笑)僕、変わり兜というもの自体を知識として知らなくて。
新谷_俺も知らなかった。彼から教えてもらったこと山ほどあるんですよ。歌舞伎も全部、彼が教えてくれたし。一緒に行ったし。それから松竹の仕事もしましたけど、それは彼と一緒に。次期社長になる、専務の頃の、なんとかさんって人に呼ばれて…。金田中ですか?
信濃_あぁ、超高級料亭の…
新谷_あそこに来いって言うんですよ。「おい、なんか、えらいことになっちゃったぞ」って。「なんか、来いって言ってるぞ」「行きましょうよ」って、行ったんだよ。廊下なんてツルツル滑っちゃって恐いのよ(笑)
信濃_ははは(笑)
会場_ははは(笑)
新谷_女中さんも会ったことのないような女の人でさぁ、にこにこ笑ってるの(笑)
信濃_はは(笑)
会場_ふふ(笑)
新谷_俺は『an・an』やってたんだけどね。その作業中の格好のままじゃない?汚い格好してさぁ…それで入って行ったの。
信濃_ははは(笑)
新谷_「どうぞ、入ってください」って言われて…専務って、後年社長になった人ね。「歌舞伎もね…君ら、若い人でね…色々宣伝なんかしてくれ。ついてはひとつ、よろしく頼む」とか言っているんですよ。
信濃_へぇぇ!
新谷_「分かりました」って、何やっていいか分からないんだけど(笑)。
信濃_ははは(笑)
新谷_それで、とりあえずポスターをやりなさいって言われて。中吊りとかね。原田くんは仕事ないのよ、とりあえずは。
信濃_はい。
新谷_彼から聞いた話では…実現したら良かったなと思うのは…劇場の前にある看板。絵看板ってあるでしょ?
信濃_あ、はい。
新谷_あれを原田くんが担当する、というね。
信濃_ほぉ~!!
新谷_話があったらしいの、一瞬。これは良いなと思ったんだんよね。彼の絵で歌舞伎のあれやったら、最高に良いだろうなって。
信濃_そうですね!
新谷_人気出るだろうなと。歌舞伎に詳しいしね。
信濃_そうですね。
新谷_子どもの時に、お母さんが歌舞伎観に連れて行くでしょ?お父さんは新橋演舞場でしょ?ものすごく詳しい訳よ。
半ズボンでランニングの子どもの時に、一緒に連れて行ってもらっているんだからさぁ。築地ですからね、何ていったって。そこで生まれて育っている訳だから。
それで、その話があって、僕はもう夢見るように素晴らしいと喜んだ訳よ。ところがなんか、江戸っ子で、三代続いた人じゃないと駄目なんだって。
信濃_そんなルールがあるんですか?
新谷_ルールだかは知りませんけど。そう、なっちゃったんだよ。今の人は知りませんけど…芸大か何かにおられた方らしくて。日本画の伝統を引き継いでいるという…その方がやることになって。今は変わったかも知れない。その方がやることになって。僕は全然いいと思いません、はっきり言って。「何じゃあれ!?」って思っている訳!
信濃_ははは(笑)原田先生は描きたかったんですかね?
新谷_描けるかどうかは別にして…それは、仕事となればやったでしょうね。彼はとにかく、自分の本の中でも書いていましたけど…何種類もの技法を使う【10】ということを考えた訳です。
信濃_5年間で10種類と本にも書かれていました。
新谷_デザイナーなんですよ基本的に。
信濃_あぁ。
新谷_デザイナーだから、注文がないと発生しない仕事なんですよ。絵描きっていうのは、「気分が盛り上がったぞ!」って、夜中に描いてもいいし…売れようが売れまいが知ったことかと、好きに描けばいいんだけど。
デザイナーはそうではないじゃない?誰々のために、何月何日まで、この大きさで…
信濃_そうですね。
新谷_注文が来て初めて「じゃあこれをやろう」となる訳ですから。その時に「じゃあこの技法でやろうかな」とか「これはこっちの方があっているかな」と、広い窓口というか、門口というか…広い商店にしておかないと。
信濃_あぁ。
新谷_「“金の子たわし”しか売っていません」って、それでは困る訳よね。
信濃_うん。
新谷_「うちは金の子たわし専門店です。ほうきは隣で買ってください」って、それじゃぁさ…食えないから(笑)
金の子たわしもあれば、ちりとりもあるし…変な例だけど…ほうきも売っているし、手ぬぐいも売っているみたいな。
信濃_ふふふ(笑)
新谷_そうしなければ商売成り立たないと考えて、それを実行した人です。
信濃_あぁ。
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